2025-01-09

初ライドは高指山へ

正月2日より病に臥せっていたので今日が初ライド、といっても2日前に日和田山登山口まで軽く乗ってみた。まだ呼吸器系が完全ではない感じだが、冬の乾燥のせいかもしれないと思い、一番短い清流線から高指山に行ってみた。ウインドテクト サイクルアンダーシャツを試してみたいこともあった。

高指山から少しもやがかかって入るが今日は眺めがよい
左側丹沢奥多摩方面

中 富士山 奥多摩方面

右 奥秩父方面

道端の山茶花

同じく寒椿

紅白めでたく今年も頑張ろう。
一昨日の晩に少しまとまった雨があったが、今回ルートに凍結や濡れはなかった。日曜にまた降るような予報だが、おそらく奥武蔵はほとんど降らない予感。

ウインドテクト サイクルアンダーシャツ(モンベル)
全面が防風シェル素材と保温性重視の素材の2重構造。背面には速乾性重視の素材を使用しています。とのことで、この時期はウインドジャケットを着ているが、今回はアンダーウエア、ウインドテクト サイクルアンダーシャツ、市販のペラペラ極薄ヤッケの3層とした。体が温まるまでは寒いが、15分もすると快適、下りもちょっと寒いが体と腕については抜群の性能でウインドジャケットは不要。ただし、自転車と登山を組み合わせているので、一昨日の気温では登山中大汗をかいた。今日ぐらい寒くてかつ樹林帯の日陰を登下降する分には快適だった。真冬のライド中心の時に着用すると蒸れることなく快適だろう。真冬でも少しは風が通って汗を乾かすことが必要なのでこれはちょうどよい。とにかく腹巻はもう不要になった。


2024-12-17

林道凍結注意 2024年12月

奥武蔵グリーンライン、奥武蔵2号線が通行止めなので笹郷線を下って黒山三滝へ。登山道を確認するため林道猿岩線の中間地点の日照水まで山道を歩き、下りは林道を使ったところ、黒山三滝近くで林道の凍結箇所があった。

雨がしばらく降っていないのに山側から水がしみだしていて、このところの低温で凍った。宿谷権現堂線でも染み出しはあるが、南面の道だからか凍ってはいなかったので北側限定かもしれない。

写真は林道猿岩線黒山三滝上 午前10時20分ごろ。



2024-12-13

奥武蔵グリーンライン(奥武蔵2号線)は通行止めだった(2025年2月20日まで)

久しぶりに奥武蔵グリーンラインから猿岩線を通って登山道の確認に出かけた。林道猿岩線が黒山三滝から高山不動への修験道をズタズタに切ってしまったから、なんとか古のルートを辿りたい(なぜ?自分でも理由が分からない)。

いつもの林道宿谷権現堂線から上がって顔振峠を越えて坂を上り切った八徳(299号の吾野トンネル西に下る)への分岐で、グリーンラインは通行止め。開通は来年2月21日とのことだ。行政はこの奥武蔵グリーンラインの重要性に気が付いていない。せめて工事がない時間帯は自転車ぐらい通してほしい。

北向き地蔵の先の下りに切り替わる地点から雲のかかった雪の日光連山が寒そうに見えた

時々ハッとするようなきれいな紅葉

顔振峠から丹沢山脈、奥多摩の峰。手前は大仁田山か

八徳の分岐

通行止め範囲


今日は真冬並みの寒さ、ウエアの確認も兼ねてのライド。冬のライドは寒くておっくうだが20分も漕げば手足は別としても体が温まって漕ぐことに集中できる。前半は快適だが下りが多くなる後半は寒くてたまらないのでヤッケを羽織った。手足が冷えると体も冷えるが、今日を耐えたので、もう真冬も怖くない  かな?


2024-12-05

初冬の奥武蔵ライドを楽しむ

神社仏閣寄りになったので今日は基本に戻ってライド&登山(日和田山)。
気温が低くなったので登りは快適だが、勢いで下ると寒い。前回のライドでは宿谷集落に薄氷を確認した。

高指山から奥秩父方面、12月にしては霞んでいる

林道わきの紅葉

生越の図書館から「生越の歴史Ⅰ」を借りてきた。近隣地区在住なら図書貸し出しカードがつくれるのだ。大平山周辺の修験道禁止令前の姿を知りたいため。埋もれた道や石の構造物、藪に消えた神社仏閣の痕跡などを探すのに役立ちそうだが、どうしてこんなに山本坊や盛んな時代の様子が知りたいのか自分でもわからない。だが興味を持って現地までライドして山中をぶらつくのは楽しい。(越生町役場に資料の問い合わせをしたら、図書館から返事があり、教えてくれた。感謝)

2024-11-25

吾那神社に寄ってみた 奥武蔵阿寺線から東峠越え

今回ルートは吾那神社に寄りたいので選んだ

宿谷権現堂線⇒グリーンライン⇒阿寺線⇒林道長尾坂野口入線(距離:36.33 km  獲得標高:861 m  タイム:2時間 8分)

この神社が、風土記稿の黒山村の熊野社(山本坊)の文に出てくる「武州入西郡吾那越生郷新熊野(略)武蔵国吾那小山一乗坊新熊野」かもしれないなどと思ったものだから。

299号国道から短い参道

中段の鳥居前から

拝殿

拝殿にはこんな掲示 え?白山信仰?

縁結び?

榛名神社?

というわけで、わけわかりません。調べたら
「明治44年に近隣の地、稲荷、八幡、白山(字橋本)、白山(字中居)山、天満の7社を合祀し、さらに大正4年に白子村社、白髭神社を合祀して吾那神社と改称した。」とありました。明治政府によって無理やりたくさんの神様が共同生活をなさっていて、得意技を繰り出す神社になっていました。廃仏毀釈も奴らの仕業、日本の文化を大いに破壊した悪党です。

最初の疑問に立ち返り、そもそもこの吾那神社とは風土記(新編武蔵風土記稿)の虎秀村に
「熊野社 天正十九年社領九石の御朱印を附せらる当村及ひ平戸村の鎮守なり例祭九月十九日東明寺の持ちなり
東明寺 東映山一条院と号す新義真言宗入間郡今市村法恩寺の末なり本尊弥陀を安す」

ここの熊野社(吾那神社)は東明寺のものなんですが、東明寺は新義真言宗の法恩寺の末となっています。新義真言宗の修験は当山派なんです。黒山熊野神社や山本坊は本山派。どちらももとは役の行者で熊野あたりが発祥とのことですが、室町時代(1336年~1573)には対立関係にあったのですね。(驚くことに熊野神社には当山派もあったようです)でも宗派が違うのでこの熊野神社(現吾那神社)は、残念ながら山本坊とは同一団体ではなさそうです。

また 新熊野 は熊野神社の新しい社殿ではなく、新熊野神社(いまくまのじんじゃ)といって、そのHPの由緒には
「熊野信仰盛んな平安末期、後白河上皇は紀州国(和歌山県)の熊野の神を勧請、1160年熊野の新宮、新熊野神社を創建した。その際、熊野の土砂材木等で、社域を造成、社殿を造営、那智の浜の青白の小石をまき、熊野をここに再現した。」
とあります。どうも本山派のようです。

戻って、黒川熊野神社(黒山三滝の山本坊)の風土記稿の
「應永廿四年五月十九日武州入西郡吾那生越郷新熊野常佳執筆□観と記し及同年六月廿日武蔵国吾那小山一乗坊新熊野なと記せしもあり」
の新熊野神社が生越郷に有ったのでしょうか。「武蔵国吾那小山」とは吾野の字小山なのでしょうか、それとも吾野の小高い山なのでしょうか。風土記は生越に小山という地名はないのでわかんないと言ってます。

吾那神社が山本坊の三番目の拠点かと思ったのは「吾那」が現在の「吾野」であること、「熊野平に有った熊野神社」であること、黒山三滝一帯は顔振峠を通って関東に出ていて、その沿道に当たること、熊野神社なら本山派で同一宗派だろうと思った、「一乗坊新熊野(黒山熊野神社)」と「東映山一条院(吾那神社の東明寺)」が似てることなどだが、やっぱり素人考えは当たらない。 新たに「新熊野神社」があったのではないかとの疑問が増えた。

東峠手前の天望 一番奥にスカリ山

横手から日和田山、膝の問題でもうしばらく登っていない

参照資料
新編武蔵風土記稿、越生町、毛呂山町、飯能市各HP、円泉寺HP、OMAIRI HP、将門ブログ、猫の足あとHP、新熊野神社HP などなどです。

近いうちに本山坊移転の地、歴代の墓周辺を見てみたい。円栄の宝篋印塔も見てみたい。

暑くても気持ちよい奥武蔵

真夏並みの暑さで日向はつらいが、湿度が低いので日影はまだ涼しく感じる。奥武蔵は杉の林道がほとんどなので日陰になっていて、下りでは涼しい。梅雨入りまではもうわずかと思うが、ライドに適した時期。 高指山からの眺望、眺めがよいのは湿度が低いためだろう。 一生懸命漕いでいるが、記録はまだ...