2024-12-17
林道凍結注意 2024年12月
奥武蔵グリーンライン、奥武蔵2号線が通行止めなので笹郷線を下って黒山三滝へ。登山道を確認するため林道猿岩線の中間地点の日照水まで山道を歩き、下りは林道を使ったところ、黒山三滝近くで林道の凍結箇所があった。
2024-12-13
奥武蔵グリーンライン(奥武蔵2号線)は通行止めだった(2025年2月20日まで)
久しぶりに奥武蔵グリーンラインから猿岩線を通って登山道の確認に出かけた。林道猿岩線が黒山三滝から高山不動への修験道をズタズタに切ってしまったから、なんとか古のルートを辿りたい(なぜ?自分でも理由が分からない)。
いつもの林道宿谷権現堂線から上がって顔振峠を越えて坂を上り切った八徳(299号の吾野トンネル西に下る)への分岐で、グリーンラインは通行止め。開通は来年2月21日とのことだ。行政はこの奥武蔵グリーンラインの重要性に気が付いていない。せめて工事がない時間帯は自転車ぐらい通してほしい。
北向き地蔵の先の下りに切り替わる地点から雲のかかった雪の日光連山が寒そうに見えた
時々ハッとするようなきれいな紅葉
顔振峠から丹沢山脈、奥多摩の峰。手前は大仁田山か
八徳の分岐
通行止め範囲
今日は真冬並みの寒さ、ウエアの確認も兼ねてのライド。冬のライドは寒くておっくうだが20分も漕げば手足は別としても体が温まって漕ぐことに集中できる。前半は快適だが下りが多くなる後半は寒くてたまらないのでヤッケを羽織った。手足が冷えると体も冷えるが、今日を耐えたので、もう真冬も怖くない かな?
2024-12-05
初冬の奥武蔵ライドを楽しむ
神社仏閣寄りになったので今日は基本に戻ってライド&登山(日和田山)。
気温が低くなったので登りは快適だが、勢いで下ると寒い。前回のライドでは宿谷集落に薄氷を確認した。
高指山から奥秩父方面、12月にしては霞んでいる
林道わきの紅葉
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生越の図書館から「生越の歴史Ⅰ」を借りてきた。近隣地区在住なら図書貸し出しカードがつくれるのだ。大平山周辺の修験道禁止令前の姿を知りたいため。埋もれた道や石の構造物、藪に消えた神社仏閣の痕跡などを探すのに役立ちそうだが、どうしてこんなに山本坊や盛んな時代の様子が知りたいのか自分でもわからない。だが興味を持って現地までライドして山中をぶらつくのは楽しい。(越生町役場に資料の問い合わせをしたら、図書館から返事があり、教えてくれた。感謝)
2024-11-25
吾那神社に寄ってみた 奥武蔵阿寺線から東峠越え
今回ルートは吾那神社に寄りたいので選んだ
宿谷権現堂線⇒グリーンライン⇒阿寺線⇒林道長尾坂野口入線(距離:36.33 km 獲得標高:861 m タイム:2時間 8分)
この神社が、風土記稿の黒山村の熊野社(山本坊)の文に出てくる「武州入西郡吾那越生郷新熊野(略)武蔵国吾那小山一乗坊新熊野」かもしれないなどと思ったものだから。
299号国道から短い参道
中段の鳥居前から
拝殿
拝殿にはこんな掲示 え?白山信仰?
榛名神社?
というわけで、わけわかりません。調べたら
「明治44年に近隣の地、稲荷、八幡、白山(字橋本)、白山(字中居)山、天満の7社を合祀し、さらに大正4年に白子村社、白髭神社を合祀して吾那神社と改称した。」とありました。明治政府によって無理やりたくさんの神様が共同生活をなさっていて、得意技を繰り出す神社になっていました。廃仏毀釈も奴らの仕業、日本の文化を大いに破壊した悪党です。
最初の疑問に立ち返り、そもそもこの吾那神社とは風土記(新編武蔵風土記稿)の虎秀村に
「熊野社 天正十九年社領九石の御朱印を附せらる当村及ひ平戸村の鎮守なり例祭九月十九日東明寺の持ちなり
東明寺 東映山一条院と号す新義真言宗入間郡今市村法恩寺の末なり本尊弥陀を安す」
ここの熊野社(吾那神社)は東明寺のものなんですが、東明寺は新義真言宗の法恩寺の末となっています。新義真言宗の修験は当山派なんです。黒山熊野神社や山本坊は本山派。どちらももとは役の行者で熊野あたりが発祥とのことですが、室町時代(1336年~1573)には対立関係にあったのですね。(驚くことに熊野神社には当山派もあったようです)でも宗派が違うのでこの熊野神社(現吾那神社)は、残念ながら山本坊とは同一団体ではなさそうです。
また 新熊野 は熊野神社の新しい社殿ではなく、新熊野神社(いまくまのじんじゃ)といって、そのHPの由緒には
「熊野信仰盛んな平安末期、後白河上皇は紀州国(和歌山県)の熊野の神を勧請、1160年熊野の新宮、新熊野神社を創建した。その際、熊野の土砂材木等で、社域を造成、社殿を造営、那智の浜の青白の小石をまき、熊野をここに再現した。」
とあります。どうも本山派のようです。
戻って、黒川熊野神社(黒山三滝の山本坊)の風土記稿の
「應永廿四年五月十九日武州入西郡吾那生越郷新熊野常佳執筆□観と記し及同年六月廿日武蔵国吾那小山一乗坊新熊野なと記せしもあり」
の新熊野神社が生越郷に有ったのでしょうか。「武蔵国吾那小山」とは吾野の字小山なのでしょうか、それとも吾野の小高い山なのでしょうか。風土記は生越に小山という地名はないのでわかんないと言ってます。
吾那神社が山本坊の三番目の拠点かと思ったのは「吾那」が現在の「吾野」であること、「熊野平に有った熊野神社」であること、黒山三滝一帯は顔振峠を通って関東に出ていて、その沿道に当たること、熊野神社なら本山派で同一宗派だろうと思った、「一乗坊新熊野(黒山熊野神社)」と「東映山一条院(吾那神社の東明寺)」が似てることなどだが、やっぱり素人考えは当たらない。 新たに「新熊野神社」があったのではないかとの疑問が増えた。
東峠手前の天望 一番奥にスカリ山
横手から日和田山、膝の問題でもうしばらく登っていない
新編武蔵風土記稿、越生町、毛呂山町、飯能市各HP、円泉寺HP、OMAIRI HP、将門ブログ、猫の足あとHP、新熊野神社HP などなどです。
近いうちに本山坊移転の地、歴代の墓周辺を見てみたい。円栄の宝篋印塔も見てみたい。
2024-11-21
黒山熊野神社にお参りライド
以前は鎌北湖から「権現堂線」経由で上がっていた奥武蔵グリーンライン、今は「宿谷権現堂線」から上がっている。理由は、途中に休息ステージ(水平または弱下り)があり比較的登りやすい。
グリーンラインはほとんどが杉の人工林の暗めの道で、眺望はほとんどなく、季節感に乏しく観光向きではないが、わずかな落葉樹に秋を感じることが出来た。
今回の下りは笹郷線、前回、前々回で寄ってみた神社仏閣と関係が深い黒山熊野神社に寄るためだ。笹郷線を下り切った黒山三滝の先、「渋沢平九郎の墓P」の無料駐車場に面して鎮座していた。
石段の途中、大杉の先に鳥居。右の道は帰り道
今は訪れる人も少ないのか、石段は苔でおおわれている
階段を登りきると神明造の社殿(火災により約40年前に建て替え)
呼ばれた気がして神社の後ろに行くと、右手に踏み跡とその先に祠がみえたのでお参り
祠の後ろから今は林になっているが平坦な地形が何段か続いている。(一段目見下ろし)
石垣だったのか石積の跡もある。
往時はかなりの規模だったようだ。
黒川熊野神社
越生町のHPには
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077 黒山熊野神社
室町時代に栄円が創建した社で、長い間、山本坊の本拠が置かれていました。また、平将門を祀るとも伝えられています。
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とあります。
新編武蔵風土記稿では
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黒山村
オカミ山 略 山上に秣場(まぐさば)あり 江戸まで見える
カハブリ峠 村内から江戸に出るときはここを通る
熊野社 慶安二年社領三石の御朱印を賜フ当社は西戸村山本坊の進退する所なり按二堂(あんにどう)山村最勝寺に蔵せる大般若経の奥書に應永廿四年五月十九日武州入西郡吾那越生越郷新熊野常佳執筆□観と記し及同年六月廿日武蔵国吾那小山一乗坊新熊野なと記せしもあり当社は元より山本坊の預かる所なれは自ら別社なるへけれと又此生越の内に小山と号する所も今其地なくれは彼新熊野と伝もの当社のことなるも知へからず
神楽堂 本地堂 薬師の像を安す春日の作なりと伝
天王院 是も山本坊の内
金毘羅社
愛宕社
山祇明神社 百姓持
全東院 曹洞宗龍ヶ谷村龍穏寺末岩松山と号す開山喜州善欣天文五年九月二十三日示寂せり本尊は弥陀を安す
長常院 是も龍穏寺の末にて山号もなし本尊薬師を安す按に上谷村薬師堂縁起に生越家行山体の薬師をつくり其一は黒山村に置しと見ゆれは若しくは此薬師ならんか今よりは考ふへからず
覚浄院 本山修験にて山本坊の配下に属す
徳正院 是も山本坊の配下なり
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文中の
「武蔵国吾那小山一乗坊新熊野なと記せしもあり -省略- 此生越の内に小山と号する所も今其地なくれは彼新熊野と伝もの当社のことなるも知へからず」が気になる(調べた結果東吾野の吾那神社がこれではないかと思っているので機会を見て行ってみたい)
また移った先の西戸村の稿には
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西戸村
丸山 村の北方にあり高さ十丈はかり
神様山 是も同辺にあり山上に山上の小祠あり故に名とす
天神社 修験圓蔵院の持
住吉社 熊野社 以上二社修験山本坊の持
慶龍寺 真義真言宗今市村法恩寺の末山なり辨徳山(べんとくざん)と号す昔は知息院の号もありしか今は唱へす開山慶□慶長六年二月三日化す本尊阿弥陀を安す
山本坊 慶安二年寺領四十七石及熊野堂領三石の御朱印を賜ヘリ熊野は郡内黒山村にあり今もここにて別當せり本山派の修験京都聖護院の末なり開山栄国□永廿一年示寂せり
行者堂 役の小角の像を安置す
龍光院 圓蔵院 二院共に山本坊の配下なり
神明造
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この「西戸村」の場所には山本坊歴代の墓があるという。今は訪れる人もいないようで藪になっているようだ。行くなら冬枯れの時期が良いよう。。
修験の山本坊は前回ライド時に下名栗諏訪神社に寄るまで、黒山三滝はたびたび訪れているにもかかわらず全く知らなかった(関心がなかった)が、なぜか気になってしまった。
2024-11-18
名栗湖ライドのついでに諏訪神社に寄ってみた
名栗湖往復ライドは3回目、1年に一回のライドだったが今後はもう少し回数を増やしたい。ライドと合わせて軽ハイキング&帰りには寄り道も楽しみたい。
今回は毎回気になってはいるが行き(登り)の左にあるために止まれず、帰りは下り坂と道の反対側で気が付かないというかすっかり忘れているため、今回が初めての訪問となる。
この神社は県指定無形文化財の風流獅子の獅子舞が有名らしく、8月に行われている。この獅子舞は高水山常福院から180年前に伝授されたものとある。高水山常福院といえば先週の高水三山の折にお参りした寺。なんかご縁を感じてしまう。
由緒書
全景、左に蔵、右に手水舎、正面に鳥居と拝殿
拝殿から見た景色
この神社、明治期の廃仏毀釈前は修験の本山派修験・山本坊の末寺だったようだ。
本山派修験・山本坊は越生町の黒山三滝にある熊野神社(廃仏毀釈で神社になった)
のちに毛呂山町に移転して、現在は山本坊坊歴代の墓がある。
この山本坊は、廃仏毀釈以前は武蔵国の入間群・秩父郡・比企郡と常陸・越後の一部を支配し、48ヶ寺の末寺がありました。石高は3石です。とある(円泉寺のHP)。その末寺の一つが下名栗諏訪神社であり、高水山常福院だという事だろう。(後日訂正、高水山常福院は真言宗なので当山派になり山本坊の末寺にはなりえない、宗派を超えての伝承)
そのHPの梅松山円泉寺は飯能のムーミンパークの近くにある。要するにみんなライド可能範囲にあるので今後折を見て訪れてみたくなった。(生越の熊野神社、本因坊歴代の墓、梅松山円泉寺)
なんだかクロスバイクの話題から外れていく予感(だって、道の様子は特別なことがない限りGoogleで見ることが出来るので、載せにくい)
一応ライドの記録
名栗湖往復 距離51.70 km 獲得標高516 m タイム2時間 35分
2024-11-13
初めての奥多摩ライド、ついでに名栗湖
自転車のみで登山口まで行くことは前からやってみたい事で、棒ノ折山へは昨年春に行っている。次は奥多摩を狙っていた。
山への興味があった高水三山は奥多摩の入り口でライド距離も30kmほどと、棒ノ折山登山口の名栗湖と4km10分ほどしか変わらない。山としては魅力に欠けるがほぼ平地のライドで到達できる。
当日明るくなってから出発する計画だったが、早く起きたので4時に出た。暗い道は危険だと思っていたが、交通量が少なく快適だった。ナビを持っていないので暗いとルートミスが心配だったが、グーグルマップで交差点の特徴を見ておくことで問題はなかった。
ライド登山の場合、自転車を置いておく場所を見つけることが重要。現代はストリートビューで確認できて便利。奥多摩にはなかなか良い場所がないのだが御嶽駅は駐輪場がある。自転車の回収は電車が使える。
登山を終えたら帰宅ライドだが、登山負荷が予想以上に軽かったのと、まだ10時なので計画では避けた軍畑駅から成木に抜ける191号線(下畑軍畑線)にトライした。車で通るときはかなりの急坂に見えたが、サイコン表示は11%ほどで、楽ではないが何とか頑張れうれしかった。気をよくして、ついでに惣岳山から見えた棒ノ折山の向こう側の名栗湖にハンドルを切る。松の木通りから53号線を通り峠を二つ峠を越す。ここの峠はトンネルのおかげで比較的楽だった。一番きつかったのは名栗湖の有馬ダムへの登りで、記憶よりもずっと長かった。
有馬ダムの坂は3回登っているが、タイムは毎回後退している。苦しさは緩和されているので、体が逃げの漕ぎを覚えたのかもしれない。
日照時間の長い春先に、奥多摩の奥を狙ってみたい。奥多摩の奥が狙えるのであれば武甲山近辺も行けるかもしれない。
名栗湖は約25km、今回の御嶽駅は30km、奥多摩駅までは40km、秩父は52km。今回の奥多摩~名栗経由走行距離は70kmで、片道換算35km。今の私には限界に近かったので、さらなるトレーニングが必要になる。
出来れば冬場はスタッドレスタイヤを履きたいがなかなか見つからない。スパイクタイヤは雪がないと走りにくい。冬のライド山行はもっぱら奥武蔵になりそうだ。
ログ
距離69.54 km 時間3:40 獲得標高838 m
2024-11-09
パンクの原因はリムテープなのか?
早朝ライドに出かけようと、いつもの空気圧点検で後輪が殆ど抜けてぺちゃんこ。タイヤを点検すると1っか所切れている。傷が深くてチューブまで達したか?と思い外してみた。
タイヤの傷(前回拭いた時には気が付かなかった)
傷は表面だけで裏まで貫通していないので使えると判断、ちょっと気持ち悪いのでそのうち交換することとするが、これではチューブが傷を負うことはなく、パンクは別の要因。
チューブを水に入れると微小な泡がでたのでよく見ると、小さな穴が開いている。前後にも傷があり、つながると大バーストしかねない。この傷は?
傷が出来たリム側を見ると、リムテープが若干剥がれてまくれている
テープは内側に出っ張る格好になっている
さらによく見ると(下の写真)、リムテープがリムの真ん中ではなく、写真の右に寄っていることから、左側の接着端がリムの外周面と微妙な位置。本来は左の斜面の上の平らな面までテープ端が伸びているはずなのだが。擦れてまくれたのだろうか?それとも前回タイヤ交換時にタイヤレバーでこじったのか?
このテープを貼る作業はちょっと自信が持てないしテープもないので、自転車Pitさんのお世話になろうと思ったが、今日明日はお休みだった。仕方ないのでリムテープをごしごしこすって極力リムに密着させてそのまま使うことにした。
チューブは予備として持っていたこれ(こっちの方が丈夫だが重い)
パウダーをきちんと
パンクしたチューブはこれだが、今回はチューブが悪いわけではない。
タイヤ、どうしようかな。今年の5月に履き替えたばかりでまだほとんど減っていない。傷があるもののトレッド部が切れただけのようなのでまだまだいけそうなのだが、タイヤとチューブワンセット予備を持っておこうか。
リムテープも貼り換えた方が良いのだろう、しばらく乗って様子を見ようかとも思うが、山奥に入るためには不安要素をなくしたいところだ。
2024-11-06
ルートミスして平坂飛村線
宿谷権現堂線を上って、武蔵横手に下るつもりが、間違えて一つ秩父寄りの東吾野駅に下ってしまった。ならば久しぶりに長尾坂野口入線の東峠を越えようとしたが、これまた東吾野の駅裏で間違えて平坂飛村線に入ってしまった。どちらも3年ぶりなので見覚えはあるものの明確には記憶していなかった。ライドが長くなったので散歩はお休み。
平坂飛村線はネットでは「つまらない」との評価だが、初心者にとっては適度な上り坂が長く続くのでトレーニングにはもってこい。途中2か所ほど浅い泥の水たまりの通過が必要。車もほとんど通行していないので路肩からの落石や落ち葉、苔などには注意が必要だが、静かでよい。
奥武蔵の林道、そもそも林道なので当然人工林の中につけられるから、景色の変化は乏しい。ポタリングには全く向かない地域なのだ。
そろそろ秋の気配。見た目はもっと鮮やかなのだが(中藤川の橋上から)
本日のルートで一番良かったのは街路樹(永田台通りを登り切って)
ログ
距離 42 km 獲得標高 904 m タイム 2:28
2024-10-17
宿谷権現堂からグリーンライン、笹郷線から天望峠越え
10日ぶりのライド、11・12日の山で膝を痛めたので階段が登れない。当然日和田山や奥武蔵は歩けない。幸い自転車は膝への負担が少ないので、無理しなければ乗れる。という事で秋の奥武蔵へ。のんびり走るつもりが坂があるとついムキになって、膝にはよくなかった。
宿谷権現堂線を上がって北向き地蔵にお参り。お堂の周りにはシュウカイドウが咲いてた
お堂の裏に「山根村青年団権現堂支部」が昭和十二(1937年)に整備した石の道標が倒れていた。(8月に見逃したものが確認できた/新緑のこもれび8月22日)
笹郷線唯一の展望、高山不動方向だが山の名前はわからない。桜が色付きはじめ。
日和田山に登らなければその時間で14km~15kmはライドできるので、久しぶりに一本杉峠の笹郷線と天望峠を回ってみた。このルートは比較的道が良く、傾斜も適度で快適なルート。3連休の天気が良かったので道は乾いていた。
ログ
林道情報
奥武蔵グリーンライン、天文岩の東側の分岐、アスファルト舗装が崩れて大きな穴ができている。どちらから行っても下りの底になっているが、東進する場合は見えにくく、下りでスピードも出るので避けにくい。ご注意ください。(写真なし)
2024-10-07
いつものコースをポタリング?
約1か月ぶりに腰痛を克服して2回目。本日は下りの安全を考えて、宿谷から林道宿谷権現堂線を登り、林道権現堂線を下って鎌北湖に出て、県道186号線を下って宿谷に戻る約24km(400m)のコース。長い雨の後でも比較的乾きが早く苔なども少ない。他には清流線から駒高のコースも良く、長雨の後は横手(国道299号側)に下らず、清流に引き返す。
鎌北湖の紅葉にはまだ早いが、桜の葉が色づいたのではと思っていたが、すでに散った。
夏の名残のスワンボートがさみしそうで、近づくと愛想を振りまき寄ってくる はずはなく、船体や屋根の汚れ具合から、ずいぶん前から乗られていないのかと。
沿道にはコスモス。狭い道にはみ出ていると車に追い抜かれるときに怖いけど
きれい
10月桜が咲いていた。花芽はごく少ないが、10月桜にありがちな小さくていじけたようなところはなく、堂々と咲いている。
体力がだいぶ落ちているので、いつものコースをポタリングでと思っていたが、いったん坂を上りだすとついムキになってしまい、結局いつもと同じになってしまったが、記録はやっぱり後退したまま。まあ当分はゆったり構えて気楽に乗ろうと思う。
距離23.75 km 獲得標高399 m タイム1時間 15分
毛呂山町観光協会 & 毛呂山町役場のご担当部署様へ
スワンボートが営業しているかどうか気になってネット検索したら、「しばらくお休み(2021年現在)」というHPがある一方「スワンボート 1000円/30分 手漕ぎボート 500円/30分 営業期間 4月から11月の土曜、日曜、祝日」というのもある。管轄の毛呂山町のHPでは触れていない。ネットの情報は新旧が入り乱れていて実際のところが分からない。せめてコンテンツの掲載年月日を各ページに入れてほしいものです。大手の旅行サイトでも古い情報を載せたままほったらかしになっている例が多い。
廃業したビルも湖岸に立っているし、汚れたボートやスワンボートが放置されていると、だんだん廃墟マニアの餌食となって、気味悪い場所に変わってしまうので、当該観光協会の方々は真剣に対応をしてほしいと願うばかり、このままではスワンが成仏できないだろ?
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